バンコクの交通事情を歩行者目線から考察する

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大渋滞都市、バンコク。道路を埋め尽くすようなクルマの車列を、嫌というほど目にされたことがあるはずです。しかしながら、この点は運転手目線、乗客目線から捉えられがちです。我々日本人は、多少の距離なら歩くことを厭わず、タイ人からは「日本人は歩くの好きだよね」と半ば呆れ顔されることもしばしばです。そこで今回は、日本人の歩行者目線からバンコクの交通事情を考察してみます。

日本とタイとの大きな違いの一つ、それはクルマ優先社会であるということ

日本とタイにおいては、交通に関するそもそもの意識が大きく異なっている。それは、タイでは、クルマの通行が歩行者の安全に優先しているということである。

たとえば日本なら、横断歩道で手を挙げる、あるいは、さも道路を横断したい雰囲気を出している歩行者が佇立していたならば、これを視認した運転手はクルマを停車させ、道路を横断させてくれることがままある。

だが、タイではそのようなことは、まずお目にかからない。何よりもクルマの通行が優先されるのだ。

日本と比べると、タイでは信号機の数が非常に少ない

もちろん日本でも渋滞は発生する。しかし、そのメカニズムは、やたらに多い信号機に何度も引っかかってしまうという原因が考えられる。少し進んでは赤、少し進んではまた赤信号。タイミングの悪さに、ついイライラしてしまうことも多い。これは最近頻発する交通トラブルの遠因にもなっているのではなかろうか。

もし日本で信号機がほとんどない土地を見つけようと思ったら、かなりの過疎地域に行かねばならないだろう。

しかしバンコクでは、大都会であるにも拘らず、何百メートルにも亘って信号機がない場所など、いくらでも見つけることができる。バンコクでは、スクンビット通りなどの、よほど交通量の激しい大きな交差点でもない限りは、信号機が設置されていないのだ。日本と比較すると格段に設置個所が少なく、ほとんどないと言ってよいほどだ。

信号機が設置されていないところにあの大渋滞である。もし、日本と同じように信号機がアチコチにつけられたとしたら、末恐ろしい渋滞が発生するのではないだろうか。

タイの信号機には、カウントダウン機能が表示されている

ここで、タイの信号機がどのようなものかを見てみよう。

▲大きなデジタルで残り時間を表示。信号が替わるまでに3分以上もある

ご覧のとおり、矢印のカラーシグナルと共にカウントダウンが表示されており、運転手は「あと何秒で青だな、赤だな」ということが分かるようになっている。ところが、これにはもう一つ、次のような表示パターンがあるのだ。

▲数字が表示されていない信号。この表示が意味するものとは

表示が「--」となっている。

カウントダウンがある場合とない場合との違いは、当然のことながら「いつ信号が変わるのか」を知り得ないことである。

では、カウントダウンが表示されない場合、どのタイミングで信号が変わるのだろうか。長く疑問に思っていたのだが、私は遂に、その変更の切っ掛けを目撃したのである。

交差点の信号機は、交通巡査が手動で切り替えていた

写真をご覧いただきたい。道路を渡った所にある赤いラインの小屋が詰め所となっている。ここに数名の交通巡査たちが、リラックスしながら道路状況を観察しているのだ。

そして、赤信号で停車しているクルマの量、前回切り替えてからのインターバル、その時の気分、等々の要素を総合考量してスイッチを切り替えると、青から黄、そして赤信号へと変わっていくのである。

私はまさに巡査がこのスイッチを切り替える瞬間を目撃したのであった。なるほど、こういう仕掛けだったのか。

▲交通の流れは、交通巡査の采配にかかっている

だが、わざわざ数人の巡査が詰め所に控え、信号をマニュアルモードにして運用する必要性があるのだろうか? 

この点は未だ解明できていない。今後の私の研究課題であるが、ひとまず信号機に「--」が表示されているときは、交通巡査が詰め所でこれをコントロールしている最中だと考えていただきたい。

クルマ優先×信号機がない=日本人歩行者が道路を横断するのは極めて困難かつ危険

信号機があれば、少なくとも赤信号の間はクルマは停車しているので、歩行者は道路を横断することができる。だが当然ながら、この信号機がなければ道路を横断できる時間が確保されていないということになる。

先ほど、タイは信号機が非常に少ないと述べた。だがそれ以上に、歩行者用の信号機が見当たらないのである。ここにも歩行者軽視の姿勢が如実に表れているといってよい。

仮にあったとしても、それは「ここに横断歩道あるよ」の注意標識だけである。だが、これに注意を払って運転するドライバーが、果たしてどれほどいるのであろうか。

▲誰からも注目されることなく佇む横断標識。BNEの方が目立っている

これはバンコクの大動脈、スクンビット通りにある横断歩道である。片側3車線の合計6車線ある道路を、歩行者用信号機無しで横断しなくてはならないのだ。スリルが味わえるだけでは済まされない、命に係わる大問題だ。

バンコクでの道路横断は、まさに命懸け。細心の注意が必要だ

次の写真をご覧いただきたい。これは実際に現地人がこの場所を横断する様子を捉えたものである。

皆、一様にして右を向き、クルマの動きを注視している

何度注意されても改めず、「うるせーこと言うんじゃねえ」と我が物顔で歩きスマホする日本人は数多いが、厳しい環境のタイでそれをしたならば自殺行為となる。

▲地元民の横断。クルマ優先の社会では、自分の身は自分で守らねばならない

この日は、なぜかクルマの往来が少なかったため、比較的に余裕をもって横断できてはいた。だが、非常に危険であることに変わりはない。クルマは一度流れ出すと、ビュンビュン飛ばすことが常であり、しかも、ひっきりなしだ。

▲疾走する車とバイク。中央分離帯で一息ついて、残りの3車線を命懸けで横断する

そうすると、交通量が増した大通りを横断することなぞ、極めて困難にも思えてくる。しかし確かに、現地人はこの通りを横断しているのだ。

卓越した横断技術を一朝一夕に身につけることはできない。長年の経験があればこそ

交通頻繁な大動脈を歩行者用信号機なく横断する技術。それは、我々日本人が真似ようとしても真似できるものではない。毎日、命懸けで道路を横断せねばならない厳しい環境に長年身を置いてこそ培われる技術であるといえる。

現地人の横断を観察していると、飄々として、何事もないかのように横断する達人がいる。達人は決して走ったりせず、ゆっくりと歩を進めて横断しているのである。その奥義を短く表すなら、

達人の奥義

「見事なまでのタイミングと度胸」

ではないかと思われる。同じように車がビュンビュン流れていく中にあって、達人はその一瞬を捉えて、迷いなく一歩を踏み出している。

すると不思議なことに、難なく向こう岸へと辿り着いているのだ。そう、まるで力石徹が疾走する豚の大群の中、スルリスルリと身をかわして進んでいく、あの名シーンのようにである。

道路の横断はハイリスク。できるだけ歩道橋を渡りましょう。ただし、万一のために、トラ次郎式・道路横断術を公開します

以上検討してきたように、バンコクにおいて信号機のない道路を横断することは、相当に危険であり、かなりのリスクを伴う。歩行者用信号機があれば最短距離で横断できるのに、これがない場合、命の危険を顧みずにその場を横断するか、さもなければ時間と労力を使い、歩道橋を見つけて横断するかのどちらかである。道路横断に際しては、この点を天秤に計ることになる。

「交通頻繁な道路であるが、遠回りせずにこの場で横断したい」

そのようなケースにおいて、私がどのように横断しているのかを公開したい。

【ステップ1 地元民を待つ】

ジモティは横断の先生である。まずは慌てずに彼らが現れるのをその場で待つ。

【ステップ2 左斜め後ろ45度かつ1メートルの距離へ近づく】

ジモティが現れたら、彼らの左斜め後ろ45度の角度に約1メートルの距離までスッと近づく。そして、クルマと彼らの動静を注視しつつ、彼らが一歩踏み出すのを待つ。

【ステップ3 その距離と位置を保ち、彼らの動きにシンクロさせて横断する】

疾走してくる運転手の立場に立つと、外国人の横断よりも自国民の横断の動きに対応する方が容易であるはずである。したがって、ジモティに重なるようにして動きを合わせ、スクリーンプレイを用いて横断する。

冷や汗、脂汗が出てしまったジモティとの道路横断の実例

以上が「知り合いのジモティがいない場合」の横断術であるが、かつてジモティに連れられ、絶対に横断不可能と思われるような道路を横断した思い出がある。

それは、ラマ4通りであった。こちらも片側3車線ある交通量が半端ないバンコクの大通りである。横断歩道でも何でもない場所に立ち、反対岸にある食堂へと横断を意図するも、クルマが途切れる気配すらなかった。

「えっ! 本当に横断するの?」

心配そうに尋ねた私を相手にすることなく、何かのタイミングで道路をヒョイと横断し始めたのである。渡り始める時、軽く「ども」とドライバーに手を挙げていたみたいではあったが、どうしてそのタイミングで横断を開始できるのか、全く理解できないほどにクルマは普通に走っていたのだ。

私はヒヤヒヤしながら、隣にピタリとくっつくようにして何とか横断できたという、冷や汗ものの実体験がある。

その他、左折車にも注意せよ

これも次の写真をご覧いただきたい。対面信号は赤であるが、この左折車は、ゆっくりと丁字路を左に進行していった。

▲キチンと停車する車両もあれば構わず左折する車両もある。用心するに越したことはない

このように、「常時左折可」の交差点でなくとも、

「右方からくる直進車両がいなければ、左折したってエエじゃないか」

という暗黙のルールというか交通慣習のようなものが、どうやらあるようで、左折車は油断できない存在である。

たとえば日本では、黄色信号が灯った場合、本来は停止しなければならないのであるが、逆にアクセルを踏み込んで強引に通過していく車両が圧倒的多数であろう。また、赤信号に変わったのだから、本来は留まるべきなのにそうせず、オレも私もと右折していく車両が後を絶たず、青信号に変わった側の車両としても、それを織り込み済みで発進するという交通慣習があろう。

次なる疑問。交通頻繁のうえに信号機で交通整理がされていない交差点ばかりならば、右折車はいつまでたっても前に進めないのではないか?

左側通行の場合、右折車は直進車両に劣後する。そのため、青信号でも、対面から直進車両が連続している限りは発進することができない。ただし、右折矢印信号もあり、待ってさえいれば右折することができる。

しかしながら、日本と同じく左側通行のタイでは、交通頻繁なところにもってきて、信号機がない交差点が数多い。であれば、いつまでたっても右折車が発進できないのではないか? という疑問が生じたのであった。

この点を観察していると、やはりタイ人ドライバーが長年培った、車両の頭を突っ込む技術とタイミングが素晴らしい。しかも、自分が直進車両であったとしても、右折車に道を譲ってやるために停止するドライバーが相当数見受けられるのだ。

右方の直進車両がこのように停止してくれて少し前に進めたとしても、ここではさらに、その先の左方から直進してくる車両と対面から左折してくる車両の中に、自車を巧みに合流させなければならない。ここでも同じく、各自の車両を停止させ、合流に協力するドライバーが多かった。困った時はお互い様ならぬ

右折の時はお互い様

というタイの交通秩序が不文律のうちに築かれているのではなかろうか、と思われた。

 
駅構内を歩道橋代わりに利用しての横断にも注意されたい。不合理な設計がなされている確率、大

「道路の反対側にあるファミリーマートに行きたいな。おっ、ちょうどいい。駅の高架を利用して、向こうへ渡ろう」
 

とあなたが考え、よいしょコラショと階段を上った後、悲劇が待っているケースが多い。

 
「えっ、どういうこと?」

 
こういうことである。
 

▲一方通行のエスカレーター。なぜか自分の行きたい側が進入禁止となっているケースが多い
 

 
つまり、バンコクのスカイトレインの駅へと繋がる地上の出入口は、一方通行の場合が多々あるのだ。いや一方通行だから、出入口とは呼べまい。この例ではファミリーマート側からはエスカレーターで上ることしかできず、したがって、ファミリーマートへ行こうと思ったら、ファミマと反対方向の階段を降り、わざわざグルリと遠回りしなくてはならないのである。
 

なぜこちら側の上りだけをエコ贔屓してエスカレーターを付けたのか? 十分な理由が見つからない。こういった場合には、横に階段を併設すべきである。しかし現実的に、こういった理不尽な造りが、そこら中の駅で散見されるのだ。どうやら溜息をつき、「仕方ないさ、ここはタイランド」と思って諦めるしかなさそうだ。

これがタイの歩道です。ね、とっても歩きづらそうですよね

強い日差しの下、歩くのが大嫌いなタイ人。だとすれば、おのずと道路にかける予算のうち、歩道に対する割合は小さくなろうというものだ。

関係者

「歩道があるだけましだ! 文句があるならクルマに乗ればよいだろう」

と関係者に怒られそうであるが、実際の歩道は、こんな感じである。

▲そこらじゅうがデコボコだらけもなんのその、バイクが走る

舗装作業をやっつけた、という言葉で形容するのが相応しいだろう。そうそう、それから歩道は、歩行者だけのものではない。バイクが快適に通行するためのフリーウェイともなっているので、びっくりなさりませぬように。

▲日本なら、「足をくじいたらどうしてくれんだ!」と行政にクレームが入るレベル

樹木を大切にする精神は尊重されるべきではあるが、この場合、人ひとりが、かろうじて通行できる幅しか確保されていない。しかも、ブロックが傾いたり陥没したりしており、夜間の通行においては、足をくじかないように注意して歩行しなくてはならない。

▲この狭さとこの足場では、もはや普通に歩くことはできない

この狭さ、この足場。こちらはもはや、歩道にすらなっていない。岩場を歩くためのトレッキングシューズが必要かもしれない。

▲3本の角度がピタリとシンクロしている。現場作業員の遊び心に関心

この遊び心には、大変に感心させられた。手前の木が曲がって伸びるのは木の勝手であるし、仕方のないことである。

だが、それに合わせて電柱まで同じ角度に曲げて埋設する必要はないはずだ。それに、斜めに建てると柱が倒れる確率も高まるから、それだけ危険であるというのに、あえて天然物と人工物との調和を優先した工事現場監督には、心から敬意を表したい。

この光景を見て、ぐにゅっと曲がったセシールのトレードマークを思い出してしまった。

あたら、命を

日本で交通事故が発生した場合、どんなに歩行者が悪いと思えても、クルマの過失割合が高く認定されてしまう傾向がある。それはすなわち、「歩行者は交通弱者であるからより保護されるべきで、逆にクルマには高度の注意義務が課せられている」との考えが根底にあるためだ。

しかしながらタイでは、あくまでもクルマが優先なのである。事故が発生しても、「そんなところを横断するお前が悪い」となってしまうだろう。

日タイにおいては、そもそもの道路交通に関する考え方が異なっているのだ。どうか、タイにおいては、クルマには十分にご注意いただきたい。あたら命を、である。

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コメント

  1. 雄一郎 より:

    今もそうですが交差点の近くに派出所が有って警察官が手動で信号を切り替えています。タイでも随分前に自動切り換えの信号を導入する事を検討していましたが、警察から俺たちの仕事を奪うのか?と迫られて全数導入にはならなかったそうです。一日中座りっぱなしで信号を切り替えるだけの楽な仕事ですが、ときどき居眠りしてるのか?ってくらい信号が変わらないのもしばしばです。この楽な仕事ですら満足にできないのがタイの警察官です。

    • トラ より:

      雄一郎さま

      なるほど、信号機が手動の訳は、そういった経緯があったのですね。警察官でさえ、のんびりとした仕事ぶりをしているのを見ると、やっぱりタイだなぁと感じてしまいます。疑問が一つ解消しました。コメントありがとうございました!