イサーンの主要都市、ウドンタニはこんな町でした

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年に数回の訪タイを繰り返している私でも、移動の手間などを考えると億劫になり、バンコクから遠く離れた町を訪れたことはありませんでした。しかしタイの知人から小旅行をドタキャンされたことを良い機会をとらえ、思い切って地方都市へと足を延ばしてみたのでした。

タイ人の知人にラヨーン行きをドタキャンされ、予定が大幅に狂ってしまう

その訪タイ前、私の友人であるジェイから、

ジェイ

「次回はあなたをラヨーンに連れて行ってあげるわ。海辺のリゾート地よ」

と魅力的なオファーを受けていた。燦燦と輝く太陽に白い砂浜。私にはビーチパラソルの下、薄く切ったオレンジをアイスティーに浮かべる完ぺきなイメージまで出来上がっていたし、マリンスポーツをする場合にも備えて、日本で海水浴セットを準備してタイに渡ったのである。ところがバンコクに到着し、ラヨーン行きを翌々日に控えたその日に

ジェイ

「ごめんなさい。急用が入ってしまってラヨーンには行けなくなったわ。それに雨季だから、ラヨーンに行くには適さないと思うの」

と、まさかのドタキャン通知がもたらされたのである。それに雨季であることは前々から分かっていたことだし、タイ人全開の言い訳である。これが日本人ならば、「お前ふざけんなよ!」と語気を荒げるところであるが、程度の差こそあれ、何しろ相手はマイペンライ気質である。

このドタキャンちょっとヒドイぜ

私はラヨーン行きを軸にしたスケジュールを組んであり、当然、その間はバンコクでホテルを予約していなかったので、直ちにプランの変更が求められたのである。心の中で抗議してみるも、ジェイは「See you」と涼しい顔。後のことはアタシ知らないからと、気にかけてくれる様子はない。

タイ人との口約束には、もれなくセットでついてくる「ドタキャン」。とりあえず約束だけしておいて、後で気が向かなければ反故にすればいいやと彼女たちは躊躇なく考えているので、こういったケースが頻発するのである。ドタキャンすることに罪の意識はない。

遂に友達のジェイにまでドタキャンされてしまったか・・・

私は抗いようのない事態を受け容れるより仕方なかった。

即断即決。未踏の地、ウドンタニへ飛ぶことに決定

ラヨーンには2泊3日の予定であったから、ドタキャンされた翌日以降のホテルをすぐに見つける必要があった。スマホの予約サイトで手頃なホテルを探していた時、ふと「今度はイサーンの田舎町にも行ってみたら」というタイ好き先輩女子の進言を思い出した。

確かに私はチェンマイにすら行ったことがなく、最大の遠出でも、タイ人のおばちゃんたちに連れて行ってもらったカオヤイまでである。私はラヨーン行きをドタキャンされて多少むしゃくしゃしていたので、思い切った決断を採ることにし、未踏の地であるタイ東北地方の田舎町、ウドンタニへ飛ぶことを決めたのであった。

そうと決まれば次は足だ。ウドンタニへ向かうには、長距離バス、国鉄、飛行機の3択となる。安価なうえ、旅の風情を満喫できる鉄道もいいかなとは思ったのだが、何しろ時間がかかり過ぎてしまう。

そこで、エアアジアのサイトをチェックしてみると、片道約1時間の数千円でこと足りることが分かったため、ここでも即決し、チケットを予約した。タイでの予約は何かと手間取るかなと多少の不安もあったのだが、意外にも、とても簡単に済ませることができた。

翌日の夜、スムーズに手続きを済ませると、ドンムアン空港を離陸した銀翼は、あっという間にウドンタニへと到着した。

これはウドンタニ空港出発ゲートからの様子。この機でバンコクへと戻った

雷鳴が轟き渡り、稲妻が闇夜を切り裂いていたウドンタニの夜。豪雨の中、どうにかホテルへ

ウドンタニの空港は、スワンナプームに比べるまでもないが、小さく、薄暗く、活気のない空港であった。バンコクへ出稼ぎ中の地元民の凱旋帰国を出迎える家族の姿や、送迎のない僅かなお客を奪おうとするタクシー運転手の勧誘がまばらに見えた。

料金を訊くと、市内中心部まで200バーツだったと思う。私は乗り合いバンを使えば安上がりであるとの情報を得ていたためこれを断わり、すし詰めとなったバンに乗り込んで空港を後にした。

昼のウドンタニ国際空港。見るからに地方空港である。手前左手にいるのがタクシーの呼び込み

正面玄関前。文字からペンキが垂れているように見えてしまう

それにしても、到着した時から、天龍のテーマ曲を10倍づけにしたような雷鳴が轟き渡り、闇夜を切り裂く稲妻が縦横に走って、激しい雨がウドンタニの町を叩きつけていた。バンコクでこのような天候にぶつかったことは1度もなかったのだが、バンコクから数百キロ北上しているので天候の種類も異なるのであろう。田舎だけに町の灯りも乏しければ車の往来も少なく、仮に一人だったとしたら、心細くて泣きだしてしまいそうな悪天候であった。

乗り合いバンは、乗客の目的地を各箇所回っては、1人降り、2人降り、そして空港を出発してから30分ほど経過した後、ようやく私が投宿する3ツ星ホテルへとたどり着いた。見た感じ、こざっぱりとした清潔感のあるホテルであった。そこは駅にも近く、町の中心部であるはずなのだが、豪雨であることも手伝ってか、辺りに酔客の姿は見当たらない。

この雨じゃ、夜のパトロールは無理だな

その夜、私は外出を諦め、ゆっくりと身体を休めることに努めたのであった。

非常に小さな町だから、見るべきスポットは殆どない

昨夜の激しい雨も明け方には上がっており、私は食料調達を兼ね、朝のウドンタニを散策してみた。日本人宿泊者もチラホラ見られるという安ホテルなどが何軒かあったものの、バンコクのような賑やかさとはかけ離れた町であることが直ぐに実感できた。

投宿先ホテルから5分ほど歩いた場所には唯一ともいえるショッピングモール、セントラルプラザがある。タイ全土に展開する店舗ではあるが、ここでもバンコクのそれとは異なり、どこか活気がなく、パッとしない。外国人旅行者が少ないせいもあるのだろう。

ホテル近くの街並み。のんびりとした時が流れている

今度は方向転換し、センタンからウドンタニ駅を目指して歩いてみる。駅前のメイン通りであってもクルマの数はまばらであり、ひなびた雰囲気が漂っていた。見るべきスポットは少なそうだ。とはいえ、はるばるやって来たのだ。イサーンを代表するウドンタニを見聞して回る必要はあるだろう。

  ウドンタニ駅前のメイン通りでも渋滞はなく、交通の流れも順調だ 

「町の中をぐるりと観光してみたいのだけど、どうしたらいい?」

ホテルの40代半ばの男性スタッフに相談すると、非常に親切に対応してくれた。スタッフの案内はお勧めスポットにとどまらず「女性のマッサージも呼べるよ」と多少の勇み足も見られたのでこれは断り、検討の結果、トゥクトゥクを数時間チャーターしての観光が合理的との結論に至った。

ホテルスタッフ

「ちょっと待っていてください」

スタッフは、ホテル対面の辻で客待ちするトゥクトゥク親父のもとに小走りで駆けていくと、値切り交渉がまとまったと見え、にっこり微笑んでOKサインを出した。条件は忘れてしまったが、「少し高いとも思えるけど、まぁいいか」くらいのものだった。運転手の親父は、思わぬ上客を得たためであろうか、欠けた歯の人懐っこい笑顔で私を座席へといざなった。

トゥクトゥク親父

「日本人の旦那、まずはココへお連れしやすぜ」

ツーストロークの小気味よいエンジン音と黒煙がぶわっと吐き出されると、トゥクトゥクは田舎町を走り出した。

私がチャーターしたトゥクトゥク。途中、大きくガタンと何か壊れるような音がしたが、笑ってごまかした親父。大事に至らずホッとした

中華系博物館の受付嬢と社食でランチ。続けて夕食のアポも取る

我々が向かった先は、何のために、なぜウドンタニにあるのか未だに理解に苦しむのだが、中国の歴史や文化を紹介する博物館、「タイ中国文化センター」であった。そこには併設されるように中華式寺院もあり、何名かの地元民の姿もあった。私は彼らのマネをしておみくじを引いてみると、悪くない運勢が出ているわヨと教えてくれた。

日本と比べると、装飾がかなり派手

続いてメインパビリオンへと入館してみる。入場無料であったが、そうでもしなければお客さんがわざわざお金を払ってまで来場することはないだろう。しかし維持費や人件費は、誰がどうやって負担しているのだろうか。謎である。

受付嬢は、めったにない来場者、しかも日本人であったためか、にわかにざわついていたようであったが、地方の娘らしい素朴な笑顔が印象的だった。館内を一回りしようとすると、なぜかトゥクトゥク親父もついて来る。邪魔くさかったのだが、私は構わず受付嬢との会話を試みた。

受付嬢

「日本から来たのですね。お昼がまだなら、私たちと一緒にどうですか?」

なんと思いがけず、ランチをしましょうと社食へと誘われたのである。しかも、社員と同席するためか、無料でよいのだという。まぁ社食と言っても、簡易的な庫裏のような場所で簡易的な麺類のランチだったのであるが、それでもチャイナ服を着た彼女たちに囲まれ、楽しくおしゃべりしながら上機嫌でその時間を楽しんだのであった。トゥクトゥク親父も混ざりたいような顔をしていたが、邪魔されたくはなかったので、車内で待機するように命じておいた。

「何しにウドンタニへ来たの?」質問を受けつつ、無料で麺を食べさせてもらった

帰り際、どちらからという訳でなくLINEを交換すると、

受付嬢

「今夜はみんなで食事に行きましょうよ」

ということになった。これは嬉しいハプニングである。地元民との交流は、願ってもないチャンスだ。私は彼女たちとの再会を楽しみに、謎の文化センターを後にした。

その後、トゥクトゥク親父は私を主要スポットへと連れて行ってくれた。たとえば、この湖である。水面に浮かぶ大きなアヒルはウドンタニ市民のランドマークとなっているようで、後日バンコク在住のウドンタニ出身者何名かにこれを見せると、必ず感嘆の声があがったほどだ。この他、寺院や大学などを巡って、今回の観光は終了となった。

ウドンタニ出身者なら誰でも知っているアヒルが浮かぶ湖。ウドンタニ人の心の拠り所でもある

これまたウドンタニ出身者なら誰でも知っていると思われる寺院

 
夕食、タイスキをつついての親睦会

待ち合わせの夜8時になると、彼女たちの内の1人がホテル前まで車で迎えに来てくれた。後の2人は店に先乗りしているのだという。どこまで行くのかな? と多少ワクワクしていたら、そこは小さな田舎町のウドンタニである。すぐ近くの駅裏にある飲食店で車は止まった。わずか5分ほどで到着したのである。

そのお店の名前は、確か「シャブ・インディ」と言った。タイでタイスキといえばMKレストランがメジャーの大団体であるが、このお店はその名のとおり、地方で小さいながらも頑張って営業を続ける「独立インディー系」タイスキ店なのであろう。みちのくプロレスといったところか。

大手のMKレストランとの違いは、やはりタレとスープだと感じた

お昼を共にした受付嬢が3人とも来てくれた

店員さん? と間違えるほどに甲斐甲斐しく給仕する受付嬢

田舎町、ウドンタニの夜は静かに、そして足早に更けていく。彼女たちとお別れの時が来た。その時、最年長の彼女をふと見ると、偽物にも程がある、訳の分からないジャージを着用していることに気付いた。

タイには、「Super Dry 極度乾燥(しなさい)」というアパレルブランドがある。日本人からしてみたらヘンテコな日本語でも、海外の若者たちにとってはクールに映るようで、大抵のショッピングモールにはこの店が入っており、人気と知名度も高いのである。

アソークにあるターミナル21にもオープンした「Super Dry 極度乾燥(しなさい)」。一体誰が出鱈目な日本語訳を名付けたのだろう

だが、彼女が着用していた偽ジャージのスペルは

 (ハングル文字)ル キヒ! ヒッ 

 Sepur dry. 

である。「お洒落なジャージだね」とは言っておいたが、偽ニセジャージは、一体どこで売っていたのだろうか。

これが偽ニセジャージ。セプァドライと読むのかな

今度はホテルスタッフからも嬉しいオファーを受ける

私が投宿していたホテルは、屋上に小さいながらもプールがあり、さらにバーがあった。チェックイン時、このバーで使えるドリンクチケットをもらっていたことから、どんなもんかと遊びに行ってみた。プール、バーともに先客はなし。独りでカウンターに腰かけると、女性スタッフが2人して対応してくれた。

最初は愛想がなかったのだが、私がジャブ気味に出した冗談が奏功したのか、スタッフも陽気モードに切り替わったようだ。心を開いてくれた彼女から、またもや思いがけぬオファーを得たのである。まったく、ウドンタニの人々は人懐っこいようだ。さて、そのオファーの内容とは、

バースタッフ

「深夜、ディスコに連れて行ってあげる」

だったのである。この手のハプニングを大歓迎している当方にとって、渡りに船であった。二つ返事でオーケーすると、

バースタッフ

「ここの仕事が終わったら、あなたに内線を架けるワ」

とのこと。ホテルの内線で呼び出されるのは初めての経験であったが、私はドリンクを飲み干すと、ディスコ出撃に備えて、部屋で仮眠をとることにした。

トゥルルルル トゥルルルル

深夜1時過ぎだったろうか、熟睡中の私の枕もとで容赦のない呼出音が鳴り響いた。

バースタッフ

「さぁ、起きて頂戴。下で待っているから」

ホテルの外は雨が降っていた。そこには、スタッフの彼女とその友達が、ホンダのバイクに跨り、私を待っていたのであった。

バースタッフ

「さぁ、乗って頂戴。ディスコに向かうわよ」

雨でもカッパを着用しないのがタイスタイル。暑いからそのうち乾くということなのだろう。小型バイクに成人が3人乗りして、ディスコへと走り出した。

ウドンのディスコは爆音地獄。凄まじい音の衝撃波に心臓と鼓膜が悲鳴を上げた

そのディスコは、どこかのホテルに併設されていた。駐車場には、ズラーっと停められた、バイク、バイク、またバイク。ウドンタニの若者たちの足は、バイクがメインのようである。

さて、ディスコ内に足を踏み入れてみる。平日だというのに、とても多くの客が夜を楽しんでいたことに驚いた。若者の娯楽が少ないのだろうが、明日の仕事に支障はないのだろうか。

が、それ以上に度肝を抜かれた、というより参ったのが、ディスコ内に轟きわたる、凄まじいまでの爆音である。大型スピーカーから最大出力に調整された大音響が、ホールにこれでもかとばかりに浴びせられていた。

この爆音に合わせるように、エキセントリックなレーザー光線も乱射されていて、とても迷惑だ。心臓、耳、目への三所攻めである。この激しい攻撃を涼しい顔で受け流すタイ人には驚くばかりであるが、我々が通された席は運悪くスピーカーの前。そこしか空きがなかったのである。そのため、私は音の衝撃波をモロに受け止める悲劇に襲われたのであった。

ドン! ドン! ドドン!

高音はまだマシだが、重低音が鳴る時がやばかった。それは、まるでカメハメ波か波動拳のようであり、振動で心臓を揺らすのである。スピーカーから放たれた必殺コンボにダメージを食らい続けてK.O寸前である。

これでは体がとても持たないぞ

その時、私は考えた。せっかく好意で連れてきてもらったのに、ツライ表情をしていては先方に悪い、と。そこで私がやむなく採った作戦とは、

腕を胸の前でクロスガードしつつ、音に合わせて体を揺らす

というものであった。こうすることで衝撃波から心臓への負担を減らし、なおかつ踊りを楽しんでいるように見せようとの意図である。「顔でおどけて心で泣いて」作戦だ。

時折、そうする私を見て、彼女たちは何かを話しかけてくれるのだが、公害レベルの爆音ホールでは、うるさ過ぎて全く聞き取れない。「イェーイ」と「オッケー! オッケー!」だけを返答するより仕方なかった。心では、「とにかく早く帰らせてくれ」と、それだけを考えていた。

2時間ほどの爆音地獄からようやく釈放される。「明日も来るわよ」のオファーには生返事で予防線を張る

待ちかねた一瞬の隙がやってきた、音と光が小休止する瞬間だ。私はすかさず「帰りましょう」と申し出ると、彼女たちは名残惜しそうであったが了承してくれた。すると

バースタッフ

「もう一晩泊まるんでしょ? 明日も来るわよ。部屋で待っていてね」

恐れていたオファーを受けてしまった。こんな体に毒な場所はまっぴら御免である。私は寝ぼけたようなアーという生返事をしてその場をやり過ごしたのだが、次の日の晩は、ウドンタニのナイトスポットである「Day & Night」でビールを飲み、ホテルには深夜遅く帰ることで彼女の呼び出しから逃げ出すことにしたのであった。

ちなみに、ディスコの費用を奢らせようとして私が連れていかれた訳ではなかった。むしろ向こうが全て支払ってくれたのである。非常にお世話になった、ありがとう。

30メートル程の奥行に寂れた飲み屋が連なっている。ファラン親父が多い

総括。ウドンタニは、イサーンの田舎町なので盛り場が好きな向きには物足りないが、のんびり過ごしたい紳士には丁度いい町かも

私は予定を1日延長し、3日間ウドンタニに滞在したのであるが、長くても2泊すれば十分な町である。観光らしい観光スポットもなければ、不夜城バンコクのような賑やかなるナイトスポットもないためだ。日頃のうっぷん晴らしにフィーバーしたい御仁にとっては、退屈な町でしかないだろう。

ただ、年配のファランの割合が多いように感じた。「バンコクで長逗留する予算はないがダラダラ毎日を過ごしたい」というニーズにピタリなのであろう。なので、ファラン親父と同様に、できるだけ安くタイ特有のノンビリした時間を過ごしたい向きには、丁度いい町なのではなかろうか。

ウドンタニの空。バンコクに比べて空気が澄んでいる

バンコクやパタヤの喧騒もいいけれど、たまには東北地方にも足を延ばしてみませんか。大らかなるウドンタニ女子が、貴方の来訪を待っているかもしれません。

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